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天皇を個人崇拝してはならない。【日本人の魂の根源は神】【天皇崇拝でも自然崇拝でも無い】

よく「天皇こそ日本人のアイデンティティの根源だ」と言う人がいますが、私には違和感が非常に強いです。


日本の伝統的な仏教から見ても変です。

弥勒菩薩像

少し説明します。

日本にはたくさんの仏像がありますが、仏像とは、お釈迦様が悟った心の一部を目に見える形に現した物で、実在の人物とか誰かに似せて作った像ではありません。


例えば、観音様や阿弥陀様などは実在した人物ではなく、お釈迦様が悟った「空(くう)」の真理を説く般若心経において、邪心から解き放たれた者の象徴を観音様(観世音菩薩や観自在菩薩)と言い、浄土宗において「永遠の命」を象徴する存在を阿弥陀様と呼んでいます。


そこからもわかるとおり、仏像は見えない真理を悟るための道具であって、仏像やお地蔵さんそのものを信仰の対象として拝むというものではありません。偶像崇拝ではないのです。


人間が生きている目的は物質を追い求める事ではなく、真実な心を追い求め、より立派な人間となって良い世の中を作る事にあり、それが宗教の真の目的でもあり、「目に見えるもの」よりも「目に見えない心」のほうが尊いと考えます。



個人崇拝といえば建国の父・金日成の孫、金正恩を個人崇拝させている北朝鮮がありますが、彼を通して見えない真理を悟るという事が目的ではなく、恐怖支配によって人民を金一族の下に置くために行っています。


彼を崇拝しない者は処刑され、崇拝する者は人間として認められ存在が許されるので、北朝鮮人民はそうせざるを得ないからやっているだけで、金一族を尊敬していないのは明らかです。

金正日の死に泣き崩れる北朝鮮人民

金正日の死に泣き崩れる北朝鮮人民・・・でも、演技なんですよね・・・・


北朝鮮人民が自らの生存のために崇拝させられているように、健康になるとか、金持ちになれるなど物質を追い求める御利益信仰と同種のものが個人崇拝の根底にあり、宗教が「心」を尊く考えるのとは逆に、「目に見えるもの」を尊ぶため、富や繁栄を求めて非人道的な事を平気でやったり、呪術や魔術信仰にすり替わるケースが多いのです。


これが「個人崇拝」や「偶像崇拝」というものの実体であり、仏教を信仰している者が、「こころ」よりも御利益を追い求めるならば、それは既に堕落してしまった宗教であると言う事が出来ます。


それは神より与えられた真理によって人間のこころに光を与えるといった、本来、宗教が目指しているものとは根本的に異なります。


キリスト教に於いても、イエスキリストやマリア様そのものを信仰したりするのも偶像崇拝と同じであって、イエスキリストの代理者に過ぎないローマ教皇もキリスト教信仰の象徴的存在であって、教皇そのものを個人崇拝してはならないのです。


天皇を神とする信仰は、天地創造の神が人間の姿となって地上に顕現した方=天皇を現人神(あらひとがみ:生き神様)と呼んで崇拝する信仰ですが、天皇陛下が「宇宙を作ったのは私だ」などと言うわけがなく、「生き神様」など存在しません。


そんなデタラメが元で、死んだ人を「ほとけ」と呼んだり、「死んだら神になる」などと言ったりしましたが、それらは死んだ人の尊厳を傷つけないための方便に過ぎません。


何の修行もしていないのに死ねば自動的にほとけ(お釈迦様)になれるはずがなく、ましてや死んだ人が宇宙創造の神と同じ存在になれるはずがありません。



天皇への個人崇拝が始まったのは明治維新後で、それまでの日本には無かった、いわば人工の創作物で、神社で神様に手を合わせる事とも違います。


しかし、天皇は神社信仰の総責任者として重要な存在なので、「天皇を無くしてしまえ」というつもりはありません。


アメリカから押しつけられた日本憲法は日本の自主自立に関して非常に問題がありますが、天皇を国民の象徴としたのは正解だったと考えます。


明治~昭和初期にかけて、昭和天皇に逆らう貴族院出身の政治家、近衛文麿総理大臣が天皇陛下を裸の王様にして勝手にソ連やドイツと接近し日本を世界から孤立させて戦争に突入した失敗は「天皇陛下バンザイ」のスローガンが利用されて起こった事で、同じ失敗を繰り返してはなりません。※近衛家は天皇陛下よりも偉いといわれる五摂家の家門。



さて、「天皇」が「大王」と呼ばれていた古代の日本人は、豊かな自然に囲まれながら自然そのものを崇拝せず、自然を通してその奥にある目に見えないものを追い求めていました。


自然や生き物そのものを崇めず、海の壮大さ、山の美しさ、野や木々に宿る命を通して、人間を守り育む神の偉大なる豊かな心情を感じて、神とともなる生活を送っていたという事です。


7世紀に神道が「八百万の神」を導入しようとする勢力に乗っ取られてから、山の神、海の神という自然そのものを崇拝する考え方が、それまでの日本人のアイデンティティを塗り替えてしまいました。


こういう本には「大王」が「天皇」になり、自らを神と言い出した事が書かれています。

イラストでわかる 図解日本史


自然を崇拝したからといって、御利益を求めているだけで、心霊が高められ人格がより良く成長するわけではありません。


神道はそんな低次元な偶像崇拝的な自然信仰ではなく、本来はもっと次元の高いものでした。何かの時に日本人がわれ知らず神様に手を合わせるのは、そうした事がDNAの奥深くに刻まれているからです。


(参考)
当ブログ:高倉健、一人神社で手を合わせて祈る姿に日本人の生き様を見る
http://abarenbouzamurai.blog.fc2.com/blog-entry-17.html


それが政治闘争の末に歪められ、間違ったものが現在まで残ってしまったのであって、失われた本来のものこそ、日本人の心の根源であるという事になります。


ということで、天皇が日本人の根源なのではなく、自然を司る神ともに生きる生き方、これが日本人の根源であり心のふるさとである、という事です。


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プロフィール

暴れん坊侍

Author:暴れん坊侍
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妻(日本人)と娘・息子の4人家族を持つ生粋の日本人。

政治に目覚めたのは1982年冷戦まっただ中の頃。信頼できる情報を得る手段が少ない時代だった。

きっかけは、マモーノヴァ・ヴォズネセンスカヤ著「女性とロシア」。自由平等の理想天国だと宣伝されていた共産国家ソ連が牢獄国家だと知り、マスコミと教育機関による情報操作によって真実が隠されウソを信じ込まされている現実をまざまざと知った。


インターネットが一般化しだしてからネットを中心に活動を始めたが、保守系政治活動の中に潜むスパイの策略にかかって仲間を失ったのを機にそうした運動とは距離を置いている。


2014-11-02よりブログ始動

※ だいたい勢いで記事を書いてしまうので、誤字・脱字・文章表現のまずいところなどあるが、アップした後で修正するのが常である。ご了承願いたい。

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